映画「コクリコ坂から 」に出てくる場面で、
ちょっとおもしろいトピックがあったので紹介します。
以下、ネタバレというほどでもないのですが、
オモシロは自分で探したいタイプの方は
読み飛ばしてくださいませ。
カルチェラタンに理事長が入る場面で、
玄関脇に「志 雲より高く」という垂れ幕が見えます。
これ実は、スタジオジブリの玄関前にある石碑の文句と一緒なのです。
そしてその碑文を記したのは、
ジブリ創設者の徳間康快氏で、
「コクリコ坂から」に出てくる理事長のモデルにもなっています。
この「志 雲より高く」は、ジブリのなかで
ちょっとしたキーワードになっていると思われ、
ジブリ作品「紅の豚」のひと場面でも
志をもっと大きく持て!
とかなんとか、、、言葉じりをかえて
でてきたりしています。
こうゆう、内輪ネタ?というのでしょうか
ちょっとしたネタを知ってから映画を見ると
また違ったオモシロさがあって
楽しいかもしれませんね
asahi.com より
小原篤のアニマゲ丼
父子相伝「コクリコ坂から」
2011年7月18日
ワタクシは以前、映画「ゲド戦記」のことを「ゲド苦戦記か」なんて記事に書いた前歴がありまして、その宮崎吾朗監督の第2作「コクリコ坂から」について、慎重を期して試写を2回見た上で正直に書くことにいたします(結末にも触れているのでご注意を!)。この映画には、よいところが一つ、悪いところが二つ、とても面白いところが一つあります。
原作は同名の少女マンガ(高橋千鶴・佐山哲郎作)。脚本は吾朗さんの父・宮崎駿さん(企画も)と丹羽圭子さん。舞台は1963年の横浜。父を亡くし母は長く海外暮らしで、16歳ながら下宿屋を切り盛りする少女・松崎海(メルと呼ばれる)が、高校の新聞部に所属する先輩の風間俊と出会い、文化部の部室が集まった古い建物(通称カルチェラタン)の存続運動や、カルチェラタンの大掃除にかかわるうちに互いにひかれ合うが、俊はメルに、自分たちは異母兄妹だと告げる――という物語です。
~中略~
カルチェラタンに理事長が入る場面で、玄関脇に「志 雲より高く」という垂れ幕が見えます。これ、スタジオジブリの前に立つ碑文の文句。脚本にはないのですが誰のアイデアでしょうか。この碑文を記したジブリ創設者の故・徳間康快氏は、理事長(名は徳丸)のモデルです。古ぼけたカルチェラタン(=ジブリ)を俊(=吾朗さん)らが再生させ、理事長(=創設者)がその継承を承認し祝福するという物語なわけです。船長がメルと俊を彼らの父に成り代わり祝福するのも、同じ構造。この「3人の父」の若き日の写真が物語のカギになっているのですが、思わず邪推してしまいました。「この3人って、宮崎駿さん、高畑勲さん、鈴木敏夫さんなんじゃない?」
吾朗さんは存廃を巡る討論集会のシーンで俊に、脚本にないこんなセリフを言わせます。「古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?」。そして文庫版「コクリコ坂から」解説にこう書きます。「『コクリコ坂から』をとおして、僕は過去の中から、未来が生まれるのだということを教えられた気がする」。海に消えた父を思い続けていたメルが俊と一緒に帰途につくラスト、脚本にはこうあります。「海は、父を取り戻し、俊と帰るのだ」
吾朗さんが名古屋で会見を開くというので、喜び勇んで質問しました。
~後略~
「コクリコ坂から」題名の由来は?
ジブリ映画の原作にもなった
少女マンガ「コクリコ坂から」の原作者、佐山哲郎氏が
作品の題名の由来をコメントする記事がありました~。
なんでも、与謝野晶子の短歌からとったとのこと。
与謝野晶子、、さん??
国語の授業で聞いたことあるような気がするので
名前は知ってますが。。
wikiってみました。
—
与謝野晶子・・・戦前の歌人であり作家。
情熱的な作品が多いと評される歌集『みだれ髪』(1901年)や、
日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』が有名である。
『源氏物語』の現代語訳でも知られる。
—
「コクリコ坂から」の題名に由来した歌は
「皐月仏蘭西の野は火の色す君もコクリコわれもコクリコ」
だと思われます。
意味は、、よかったら調べてみてください
ブック・アサヒ・コム より
句集 娑婆娑婆 佐山哲郎さん
[文]宇佐美貴子 [掲載]2011年09月04日
■遊びながら俳句とつきあう
二ン月の荷に根菜とコンサイス
風船が廊下の奥に立つてゐた
逝く春を交尾の人と惜しみける
いざ冷やし中華思想をひもとかむ
全裸なり此処に鯱(しゃち)ありなど歌ふ
*
パロディーか? ダジャレか? 350余句を収録した句集全般がこんな感じ。
「面白い俳句を作りたいだけ。しいていえば、ナンセンスの追究。こんな俳句でも本人は大真面目」
だから有季定型を守る。「俳句は高尚な文芸という人もいるけど、私は遊びながら俳句とつきあう」
跋文(ばつぶん)は小沢信男、表紙写真に鬼海弘雄、装丁に間村俊一、挿画に松山巌。飲み友達が協力した。小沢信男の「潮干狩(しおひがり)京成電車よい電車」に感激して、お返しに作ったのが「ウーと出てマンボと続く潮干狩」。
東京・根岸の浄土宗の寺の長男に生まれた。先代の林家三平師匠いわく「下町の学習院」根岸小に通った。都立大学で学生運動にもまれ中退。学生時代に口語自由律の歌人、前田夕暮にはまったが、その後詩歌から遠ざかり、寺を継いだ16年ほど前から俳句を始めた。
若い頃は漫画原作や雑誌編集など様々な仕事をした。分かりやすく自在な俳句に当時の影響がみえる。その中の一つがスタジオジブリの最新映画になった『コクリコ坂から』。
「題名は与謝野晶子の短歌からとったことになっているが、30年も前のこと。もう忘れた」
毎年8月19日(ハイクの日)には、発表しなかった句や頭をかすめたが思い出せなかった句を成仏させる法要を行う。「三界迷句未生鬼句浄焚法要(さんがいめいくみしょうきくじょうぼんほうよう)」と大層な名称だが「全部作り事。飲み会の口実に始めた」。
(西田書店・1890円)